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第5回まち中つながる展覧会 コラム

油画専攻の学生さんらとオトナをつなげる

絵を描いている今と将来について
若い作家さんの目線は
今のオトナからどう見えるんだろうか

今回〈まち中〉に協力していただいている日本大学芸術学部の学生さんたち。
先に絵を描く環境にいるキッカケや、描くことについて伺った内容をまとめたが、これはその続き、将来的なイメージについて少し突っ込んで訊いてみた内容を紹介する。

作品については
▶VR『まち中つながる展覧会』第5回
https://poly.google.com/view/0beOAs0q1x_
を御覧いただきたい。

――作家として売れるために取り組んでいることは?
鈴木 売れるための努力……展覧会に参加することだったり、展覧会場に行くこと。出展するかなと。
後藤 人目に触れる努力。

――人目に触れて評価されようとすることは作品のテーマを考えるのに影響するのかな?
鈴木 デザインなら気にするだろうけど、美術として表現するのは、自分が伝えたいものかなと。
芦澤 描くものがあとにくるし、描いてみてということも。
成元 描くこと自体は、職業としてやりたいことだけど、描くといっても作家として描きたいから。
戸野塚 作家さん的にはやはり売れることと描くことは違うことかなと。
成元 今回は地元で展示する機会だし、美術表現として気持ちを証明するものとして参加してみたいと思った。

――将来的にというか 例えば30くらいまでは描いていたい?
鈴木 キモチとしては続けたいが、絵がかけなくなる時間が来るんじゃないかって。
芦澤 将来的には作家と言うか、本業としてと言うより 絵を描き続けていきたい。
成元 気づいたらそうなっていたっていうのがいいなって思ってます。

*    *    *

油画専攻さんたちなので「絵を描くことが好き」ですが、話を訊いていてこれまでの「貧乏でも画家」なイメージとは異なる、イマドキの「絵を描いていく」気持ちを感じた。

それでは、19世紀に写真が生まれ、絵画とは何かと作家自身への問いかけが始まったというが、今やデジタルによる制作も盛んな中で、むしろデジタルではなく実体を用いた「絵を描くこと」をどう捉えているのだろうか。

「手で描かれたり作られることから、その人の仕事が見える(芦澤)」「マチエル含む、パレットなどで色を作る過程(鈴木)」といった答えと共に、タブレットは「スキル」として意識はしているが、表現したいものがデジタルじゃないこと、たまたまの偶然も起こらない、というデジタルにはない興奮が、自分たちの表現にあっている、ということだった。

アート自体の意味に「技術」が含まれているが、その〈得物〉についてまとめるのはナンセンスかもしれない。「アートは語ることではなく、見ることによって理解されるべきである」とバーネット・ニューマン(アメリカ)があるインタビューで答えていた。それは社会との関係でのあなたの仕事とは?という問いであったが。